山本一賢の経歴は?元プロバスケ選手から俳優への転身と冨永愛との結婚まで

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2025年12月、トップモデルの冨永愛さんが妊娠を発表し、パートナーとして名前が挙がったのが俳優の山本一賢(やまもといっけん)さんです。「聞いたことない」「どんな人?」という声が一気に広がりましたが、調べると想像を超えるような経歴が出てきます。

元プロバスケ選手、長渕剛さんの付き人、農業、そして脚本家・俳優。この記事では、山本一賢さんの素顔から冨永愛さんとの関係まで、わかっていることをまとめています。

目次

山本一賢のプロフィール

まずは基本情報を整理しておきましょう。俳優としてのキャリアはまだ浅いですが、その生き方はかなり個性的です。

名前・年齢・身長

山本一賢さんは1986年1月23日生まれ、2026年現在40歳です。身長は180cmで、体重は約66kgとされています。職業は俳優・脚本家で、特技はバスケットボール・脚本執筆・英語。英語が堪能というのが、のちの国際作品への出演につながっていきます。

項目内容
本名山本一賢(やまもと いっけん)
生年月日1986年1月23日
出身地東京都
身長/体重180cm/約66kg
職業俳優・脚本家
特技バスケ・英語・脚本執筆

「山本一賢」で検索すると同名の俳優「山本一慶(いっけい)」さんがヒットすることがあります。桐朋高等学校卒の山本一慶さんは別人なので、混同しないよう注意が必要です。

出身地と活動拠点(東京・新潟の二拠点生活)

山本一賢さんは東京都出身で、目黒区出身とも言われています。現在は東京と新潟の二拠点生活を送っており、2025年6月頃から新潟で畑を借りて農業をスタートさせました。

新潟での農業は趣味の域を超えていて、農機具を使わず手作業で無農薬野菜を育て、虫対策には納豆水スプレーを使うという徹底ぶり。将来的には米作りや不登校の子ども向けの農作業学校設立まで構想しているといいます。俳優としての活動と農業を本気で並行させている、なかなかいないタイプの人です。

元プロバスケ選手だった過去

山本一賢さんが俳優を始めたのは35歳のとき。それまで何をしていたのか、という疑問への答えが、まずはバスケットボールです。ストリートから始まってプロチームへ、そして引退という流れがあります。

駒沢のストリートバスケから3×3プロへ

若い頃の山本一賢さんは、駒沢公園でほぼ毎日バスケットボールに明け暮れていたそうです。いわゆるストリートバスケの世界で腕を磨き、その延長線上にプロの3×3チームへの加入があります。

3×3(スリー・エックス・スリー)とは、3人対3人で行うバスケットボールの競技形式で、2021年の東京五輪から正式種目になったことで知名度が上がりました。バスケにどっぷりだった10代後半〜20代のエネルギーが、のちの俳優業でのストイックさに通じている部分があるかもしれません。

「ZETHREE.EXE」での活動と金沢移住

プロとして所属したのが「ZETHREE.EXE(ゼスリー・エグゼ)」というチームです。この時期、山本一賢さんは1年間金沢に住んでいた時期があったとも言われています。

金沢との縁があったのか、のちに主演した映画『火の華』では新潟県小千谷市の花火製造会社で修業するなど、地方との結びつきが人生のところどころに顔を出します。金沢での生活がどんなものだったかは詳しくわかっていませんが、東京以外での暮らしを積み重ねてきた人だという印象があります。

交通事故からの復帰とプロ引退

バスケを続けていた時期に、山本一賢さんは交通事故で大きなケガを負ったことがあります。それでも復帰したというエピソードが伝わっていて、根性のある人だということが伝わってきます。

正確な引退時期は明らかにされていませんが、引退後は定期的なサラリーマン生活が自分に合わないと感じ、表現の世界へと向かっていきます。バスケで培ったフィジカルとメンタルが、そのまま次のステージへの土台になっていったようです。

長渕剛の付き人時代

バスケを引退したあと、山本一賢さんには意外なキャリアがあります。それが、日本を代表するアーティスト・長渕剛さんの付き人です。

付き人になった経緯

付き人になった具体的なきっかけは公開されていません。ただ、山本一賢さんは鹿児島の温泉旅館で3年間働いていた時期があり、長渕さんの出身地でもある鹿児島との縁が何かしらの接点につながった可能性が想像されています。

付き人として働いていた期間は数年とされていますが、正確な年数は明かされていません。有名人の付き人というと「雑用係」のようなイメージを持ちがちですが、表現者の日常を間近で見続けるという意味では、相当な学びがある立場でもあります。

付き人経験が俳優人生に与えた影響

山本一賢さん自身が語っているのは、長渕さんの姿勢や覚悟を間近で見たことが俳優・脚本家としての道に大きな影響を与えたということです。表現することへの本気度を直接感じ取った経験は、35歳からの遅いスタートを支える土台になったと考えられます。

長渕さんの音楽に流れる「泥臭さ」や「生き様」への共鳴が、山本一賢さん自身の作品にも反映されているように見えます。主演作『JOINT』では裏社会を生きる男を演じ、『火の華』ではPTSDを抱える元自衛官を演じています。どちらも「綺麗ごとじゃない」人間の話です。

山本一賢の学歴

気になる人も多い学歴ですが、正直なところあまり情報がありません。公式プロフィールにも記載されておらず、インタビューでも語られていないのが現状です。

出身校は非公開(わかっていること)

山本一賢さんの出身高校・大学は現時点で公式に明らかにされていません。一部の記事では「東京都目黒区出身」「インターナショナルスクールの可能性」などの情報が出回っていますが、いずれも確認が取れていない情報です。

英語が堪能であることは事実として伝わっており、独学ではなく何らかのスクールや留学経験があるのでは、という見方もあります。ただし確認できていない以上、憶測の域を出ません。

高校時代はバスケ一筋だったと言われる理由

複数の情報元では、高校時代からバスケ部に所属していたと言われています。駒沢公園でのストリートバスケとも地続きの話で、10代の頃からバスケに相当な時間を注いでいたことは確かなようです。

2018年の短編映像作品では高校時代の仲間との再会をテーマにしたものがあり、今でも当時の友人との関係が続いているともいわれています。学歴よりも、バスケを通じた人間関係や経験が山本一賢さんのキャリアの起点になっているのかもしれません。

俳優デビューへの道のり

多彩な経歴を経て、山本一賢さんが俳優の世界に踏み込んだのは30代も半ばを過ぎてから。その経緯がまた、なかなか映画的です。

35歳で俳優を始めた転機

バスケ引退後、定期的なサラリーマン生活が肌に合わないと感じた山本一賢さんは、表現する仕事を模索していきます。長渕さんの付き人として「本気で表現する人」の姿を間近で見ていたことが、その方向性を決定づけた一因でもあったようです。

35歳というのは俳優デビューとしては遅い部類に入りますが、それまでに積み上げた経験の厚みが「説得力のある演技」として評価されています。下積みの長い俳優とは違うルートで、独自のリアリティを持った演者が生まれたといえます。

小島央大監督との出会いと映画『JOINT』

山本一賢さんの俳優デビューのきっかけは、小島央大監督との出会いです。二人はDMでつながり、初めて対面したのは東京の焼き鳥屋(六本木または新宿との情報があります)だったといいます。

そこから生まれたのが2021年公開の映画『JOINT』です。山本一賢さんは主演だけでなく脚本も担当し、キャスティングやスタイリングにも深く関わりました。バーで出会った店主をエキストラにスカウトしたというエピソードも残っています。作り方そのものがインディペンデントの精神そのもので、このスタート地点が今の山本一賢さんのスタンスを形作っています。

山本一賢の出演作品

俳優デビューから数年で、山本一賢さんはインディペンデント映画を中心に国内外の作品に名を連ねています。主演・脚本・企画と、関わり方の深さが特徴的です。

映画『JOINT』(2021年)主演・脚本

山本一賢さんの俳優デビュー作にして初主演作。裏社会に生きる男を演じたこの作品は、新藤兼人賞銀賞を受賞し、日本アカデミー賞新人俳優賞にノミネートされました。

35歳でのデビューにしてこの評価は、山本一賢さんの俳優としての出発点が「助走なし」の本番だったことを示しています。脚本も自身で手がけており、単なる俳優ではなくクリエイターとしての側面が最初から出ていました。

韓国映画『警官の血』(2022年)国際的な出演

デビュー翌年には、韓国映画『警官の血』に出演しています。国内のインディペンデント映画から、いきなり海外作品へという展開です。

英語が堪能であることが、この時期から国際的な作品への扉を開いていきます。語学力を持った日本人俳優の需要は高く、山本一賢さんはそのポジションを自然に獲得していきました。

映画『火の華』(2025年)主演・企画・共同脚本

2025年公開の『火の華』は、PTSDを抱える元自衛官を描いた作品です。山本一賢さんは主演に加え、企画・共同脚本にも名を連ねています。

役作りのために実際に新潟県小千谷市の花火製造会社で修業したというエピソードが話題になりました。主演と制作の両側から作品に向き合う姿勢は、長渕さんの付き人時代に間近で見てきた「本気の表現」が今に続いているように見えます。

そのほかの出演作

山本一賢さんはそのほかにも複数の作品に出演しています。主な出演作は以下のとおりです。

  • ドラマ『OZU』(2022年)ゲスト出演
  • ドラマ『ニッポンノワール』(2022年)ゲスト出演
  • 映画『CHAMELEON』(2025年)ブリランテ・メンドーサ監督作品に出演

フィリピンを代表するブリランテ・メンドーサ監督の『CHAMELEON』への出演は、国際的な評価の広がりを象徴する一作です。メンドーサ監督はカンヌ国際映画祭の常連で、その作品に日本人俳優として名を連ねた意味は大きいといえます。

山本一賢の結婚歴

冨永愛さんとの関係が明らかになったことで、「山本一賢さんは以前結婚していたのか?」という疑問を持った人も多いはずです。

過去の結婚・離婚歴はある?

山本一賢さんの過去の結婚歴は、現時点では確認されていません。公式プロフィールや本人のインタビューでも言及がなく、離婚歴があるという情報も見当たりません。

これまでの交際相手や恋愛歴についても、公開されている情報はほぼなく「謎に包まれている」と表現されることが多い人物です。それだけプライベートを徹底的に公開しないスタンスで生きてきたのだと思われます。

独身だったとされる根拠

山本一賢さんが冨永愛さんの妊娠発表以前に独身だったとされる根拠は、シンプルに「結婚を示す情報が存在しない」ということです。

俳優デビュー後もメディアへの露出は限られており、SNSもプライベートに深く触れる内容は少ない。表現者としての顔と、私生活のシャットアウトを徹底してきた人なのかもしれません。

冨永愛との関係

2025年12月の妊娠発表で、多くの人が初めて山本一賢という名前を知りました。冨永愛さんとの関係性は、現時点でわかっていることとわかっていないことが混在しています。

2025年12月の妊娠発表で明らかになったパートナー

2025年12月20日、冨永愛さんはInstagramで「新しい命を授かりました」と妊娠を発表し、パートナーとして俳優・山本一賢さんを紹介しました。このとき冨永愛さんは43歳でした。

発表の文面では「パートナー」という言葉が使われ、「結婚」「夫」という表現はありませんでした。この点が、のちに「事実婚なのか?」という疑問につながっています。

4歳差・年上女性という組み合わせ

冨永愛さんは1982年10月16日生まれで、山本一賢さんの1986年1月23日生まれより約4歳年上です。冨永愛さんが年上という組み合わせになります。

身長は冨永愛さんが179cm、山本一賢さんが180cmとほぼ同じ。並んだときのビジュアルのバランスについて、SNSでは「映画のワンシーンみたい」という声もありました。年齢もルックスも、なかなかの組み合わせです。

長渕剛を通じてつながっていた可能性

二人の出会いや馴れ初めは公式に語られていませんが、注目されているのが長渕剛さんとの縁です。冨永愛さんも長渕さんとの親交が知られており、「長渕剛を慕った者同士がつながった」という見方が一部で広がっています。

ただしこれはあくまで推測です。表現の現場での出会いだった可能性もあり、確認が取れていない情報として受け取っておくのが正確です。

結婚はしている?事実婚という関係

現時点では、山本一賢さんと冨永愛さんの婚姻届提出は確認されていません。冨永愛さんの発表でも「結婚」という言葉は使われておらず、事実婚の関係であると見られています。

冨永愛さんは過去の結婚と離婚を経験しており、「入籍」という形にこだわらない選択をしている可能性もあります。今後の公式発表を待つしかない状況ですが、二人がパートナーとして子どもを迎えることは確かです。

冨永愛の長男・章胤との関係

冨永愛さんには前の結婚で生まれた長男・章胤(あきたね)さんがいます。章胤さんは2005年生まれで、冨永さんの妊娠発表時点で20歳前後です。

今回の妊娠は約20年ぶりの第2子ということになります。冨永愛さんの発表では、長男との関係についての言及はありませんでしたが、成人した息子と年の離れたきょうだいが生まれるという家族の形になります。

冨永愛の結婚歴と恋愛遍歴

山本一賢さんとの関係を理解するうえで、冨永愛さんのこれまでの歩みも知っておくと背景がつながります。

最初の結婚(2004年、パリ在住のパティシエ)

冨永愛さんは2004年に結婚しています。相手はパリ在住のパティシエとされており、翌2005年に長男の章胤さんが生まれました。国際的なモデルとして活動していた時期と重なります。

その後、2009年に離婚。詳細な理由は公表されていませんが、以降は長男を育てながらシングルマザーとして活動を続けてきました。

離婚後のシングルマザー時代

離婚後の冨永愛さんは、長男・章胤さんを育てながらモデル・女優・タレントとして活動を広げていきます。国内外でのランウェイに立ち続け、バラエティや映画にも進出するなど、シングルマザーであることを前面には出しつつも、仕事のフィールドを広げてきました。

恋愛については長らく公表していませんでした。それだけに、2025年12月の妊娠発表は多くの人にとって驚きのニュースになりました。

20年ぶりの第2子妊娠発表

冨永愛さんの妊娠発表は43歳のとき。第1子の誕生から約20年が経過してのことです。43歳での妊娠は医学的にもリスクが高い年齢帯とされており、慎重な判断と決断があってこその報告だったと思われます。

発表のInstagramには、章胤さんも含めた家族の未来への前向きなメッセージが込められていました。「長男と20歳近く離れたきょうだいが生まれる」という家族の形は、現代の多様な家族像のひとつといえます。

山本一賢の現在の活動と生き方

俳優・脚本家としての活動が評価され始めた山本一賢さんですが、その生き方はいわゆる「芸能人らしさ」とは少し違う方向を向いています。

新潟での農業と俳優業の二刀流

2025年から始まった東京・新潟の二拠点生活は、単なる気分転換ではありません。新潟では一軒家を借り、農機具を使わない手作業での無農薬農業を実践しています。虫対策に納豆水スプレーを使うなど、本格的に取り組んでいます。

将来的には米作りへの挑戦と、不登校の子どもたちが農作業を通じて過ごせる学校の設立を構想しているともいわれています。俳優としての活動と農業・教育への関心が、同じ人物の中に共存しているのが山本一賢さんという人物です。

英語も話せるマルチな一面

山本一賢さんは英語が堪能で、これが韓国映画への出演やブリランテ・メンドーサ監督作品への参加につながっています。日本のインディペンデント映画の俳優が国際作品に継続的に関わるケースは多くなく、語学力が独自のポジションを作っています。

バスケ・農業・脚本・俳優・英語と、ひとつのフィールドに収まらないキャリアは、「型にはまらない人」という言葉がよく似合います。冨永愛さんもまた、パリのランウェイから国内バラエティまで幅広く活動してきた人。二人の共通点が、ここにも見えてきます。

まとめ:35歳から始まった、型破りな俳優人生

山本一賢さんは、ストリートバスケ・プロ選手・長渕剛の付き人・温泉旅館勤務・農業・俳優・脚本家という、他に例を見ないキャリアを歩んできた人物です。俳優デビューは35歳でしたが、新藤兼人賞銀賞の受賞や国際作品への出演など、短い期間で着実に評価を積み上げています。

冨永愛さんとの関係は2025年12月の妊娠発表で初めて明かされ、現時点では婚姻届の提出は確認されていません。二人がどのような形でこれからの生活を築いていくのか、公式な発表を待ちながら注目していきたいところです。

農業から国際映画まで、山本一賢さんの活動の幅はまだ広がりそうです。今後の作品も含めて、これからが楽しみな俳優のひとりです。

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