カオリ・ナラ・ターナーは何者?夫(旦那)との馴れ初めや火事・現在の活動を解説!

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2026年5月8日に放送された「徹子の部屋」に、92歳のメイクアップアーティスト、カオリ・ナラ・ターナーさんが登場しました。日本人として初めてエミー賞メイクアップ部門を受賞し、ハリウッドの第一線で活躍し続けた伝説の人物です。

「どんな人なんだろう?」「夫との出会いって?」「火事って大丈夫だったの?」と気になった人も多いはず。この記事では、カオリさんのプロフィールから夫・ビル・ターナーさんとの馴れ初め、88歳のときの火事の話まで、時系列でまとめています。

目次

カオリ・ナラ・ターナーのプロフィール

カオリさんの経歴を一言で表すなら、「ダンサーからハリウッドの頂点に立ったメイクアップアーティスト」。東京生まれで、幼少期から芸術の世界に飛び込み、海を渡ってアメリカで名声を築いてきました。まずは基本的なプロフィールと、ダンサー時代のキャリアから見ていきましょう。

生年月日・出身・現在の拠点

カオリ・ナラ・ターナーさんは、1933年11月26日生まれ。出身は東京都大田区蒲田で、現在はロサンゼルスを拠点に生活しています。2026年現在で92歳になりましたが、それでも現役で活動を続けているのだから驚きです。

フルネームの「ナラ」は奈良から来ているわけではなく、英語圏でも覚えやすいように採用されたミドルネームです。「ターナー」は夫のビル・ターナーさんの姓で、結婚後に名乗るようになりました。

項目内容
生年月日1933年11月26日
出身東京都大田区蒲田
現在の拠点ロサンゼルス
年齢(2026年5月時点)92歳

6歳からダンサー、12歳でプロデビュー

カオリさんは6歳で日本舞踊を、7歳でタップダンスを始め、12歳のときにはすでにプロのダンサーとしてステージに立っていました。今の感覚で言えば中学生になる前にプロデビューということになります。それだけ幼い頃から、「踊ること」が人生の中心にあったわけです。

20歳になる頃には日劇のステージやテレビ・映画にも出演し、日本のトップダンサーとして活躍。その後はアメリカへ渡り、ニューヨーク、ラスベガス、ハリウッドといった舞台を次々と踏んでいきます。日本文化使節団の一員として海外に日本文化を紹介する活動にも加わっており、若い頃から国際的な視野を持っていた人物でした。

ダンサーからメイクアップアーティストへの転身

プロのダンサーとして輝いていたカオリさんに、突然の転機が訪れます。華やかな舞台の裏で、身体は限界に近づいていました。

31歳のとき膝の靭帯を断裂

1971年、カオリさんは膝の靭帯を断裂してしまいます。このとき38歳。長年プロとして踊り続けてきた身体が、ついに限界を迎えた瞬間でした。「もうステージには立てないかもしれない」という状況は、ダンスを人生の軸に置いてきたカオリさんにとって、相当大きなショックだったはずです。

ちなみに、先述の「6歳でダンスを始めた」という話と合わせると、ダンサーとして32年以上現役で活動してきたことになります。それだけの年月をかけて積み上げてきたキャリアが突然閉じてしまう、その痛さは計り知れません。

夫の一言がメイクの道を開いた

行き場を失いかけていたカオリさんに手を差し伸べたのが、夫のビル・ターナーさんでした。ビルさんはハリウッドのメイクアップアーティストで、「一緒にメイクの仕事をしよう」と誘ってくれたのです。

この一言が、カオリさんの第二の人生を開きました。38歳という年齢からの転身は、けっして早くはありません。しかし、長年ダンサーとして培ってきた美的感覚や身体表現への深い理解は、メイクアップの世界でも大きな武器になりました。夫から技術を学びながら急速に実力をつけ、1978年には日本人として初めてハリウッドのメイクアップユニオン(組合)の正会員になるという快挙を成し遂げます。

夫・ビル・ターナーとの馴れ初め

カオリさんの人生を語るうえで、夫・ビル・ターナーさんとの出会いは外せません。香港という場所で、まるで映画のシーンのような出会いがありました。馴れ初めからプロポーズ、そして伝説の結婚式まで、順を追って紹介します。

1965年、香港のステージで一目惚れ

1965年、カオリさんは香港のアンバサダーホテルのショーにダンサーとして出演していました。同じ時期、ビルさんはスティーブ・マックイーン主演映画「砲艦サンパブロ」のメイクアップスタッフとして、香港ロケに参加していました。

ビルさんはオフの時間にカオリさんのステージを観に行き、一目惚れ。その後も何度もショーに足を運んだと言われています。日本から来たダンサーと、ハリウッドで活躍するメイクアップアーティストが、遠く離れた香港という街で偶然に交差した瞬間でした。

2週間でプロポーズ、でもカオリさんは即答しなかった

ビルさんはカオリさんと出会ってから、わずか2週間ほどでプロポーズします。しかしカオリさんはすぐに首を縦に振りませんでした。実は17歳のときに経験した最初の結婚で、束縛の強い生活を送っていたため、再婚には慎重になっていたのです。

ビルさんの熱意はそこで止まりませんでした。スティーブ・マックイーンさんがカオリさんの部屋を訪ね、「ビルがいかに素晴らしい人間で、あなたを愛しているか」を語りに来たというエピソードも残っています。それでもカオリさんの答えは変わらなかったといいます。

転機になったのは、香港で反英デモによる騒乱が起きたときです。危険な状況のなか、ビルさんはカオリさんのもとへ駆けつけました。その行動を目の当たりにしたカオリさんは、「この人なら信頼できる。一生守ってくれる」と感じ、結婚を決意したと語っています。

結婚式は戦艦の甲板の上、立会人はスティーブ・マックイーン

ふたりの結婚式は、「砲艦サンパブロ」のロケに使われた戦艦の甲板の上で執り行われました。午前中の撮影が終わると、クルー全員でピアノを甲板に運び、花で飾って祝福してくれたとカオリさんは振り返っています。ロバート・ワイズ監督がお父さん代わりとして式を取り仕切り、スティーブ・マックイーンさんが立会人を務めました。

ハリウッドを代表する大スターが立会人として出席する結婚式というのは、それだけビルさんが現場で深く信頼されていた証でもあります。カオリさん自身は「マックイーンはとても気さくでチャーミングだった」と回想しており、ハリウッド黄金期の空気をそのまま体感したような、唯一無二の結婚式でした。

ハリウッドでのキャリアと主な出演作

メイクの世界に入ってから、カオリさんのキャリアは着実に積み上がっていきました。日本人であること、女性であること、そして遅いスタートであることを、次々とクリアしながら頂点まで上り詰めた歩みを振り返ります。

1978年、日本人初のメイクアップ・ユニオン正会員

ハリウッドでメイクアップアーティストとして仕事をするには、メイクアップユニオン(組合)への加入が必要です。1978年、カオリさんは日本人として初めてこのユニオンの正会員になりました。当時のハリウッドは、外国人や女性に対してまだまだ壁が高い環境でした。

それだけに、この加入は単なる手続き上の話ではなく、「実力が認められた」という証明でもありました。ユニオン加入をきっかけに、カオリさんは本格的にハリウッドの現場に入るようになります。夫・ビルさんのそばで技術を磨き始めてからおよそ7年、ようやく扉が開いた瞬間です。

「フラッシュダンス」「キル・ビル」「ラスト・サムライ」など

ユニオン加入後、カオリさんが手がけた作品は枚挙にいとまがありません。1983年の映画「フラッシュダンス」では、ダンサーのボディメイクを担当。自らダンサーとして生きてきた経験が、そのまま仕事の強みになりました。

以下は、カオリさんが関わった主な作品です。

作品名ジャンル
フラッシュダンス(1983)映画
ゴーストバスターズ映画
アメリカン・ビューティ映画
ラスト・サムライ映画
キル・ビル映画
パイレーツ・オブ・カリビアン映画
チャーリーズ・エンジェル映画
アリー・myラブTVドラマ
エイリアスTVドラマ

担当した俳優にはジュリー・アンドリュース、ブルース・ウィリス、ジョージ・クルーニーらが名を連ねます。映画とテレビの両方で長年にわたって活躍した、ハリウッドを代表するメイクアップアーティストのひとりです。

2003年「エイリアス」で日本人初のエミー賞受賞

2003年、カオリさんはテレビ界で最も権威ある賞のひとつであるエミー賞のメイクアップ部門を受賞しました。対象となったのは、ジェニファー・ガーナー主演のスパイドラマ「エイリアス(Alias)」です。この受賞は日本人として史上初のことで、大きな話題を呼びました。

「エイリアス」はスパイが変装を繰り返す物語で、メイクアップアーティストにとっては腕の見せ所が多い作品です。複雑なキャラクター変装を自然かつ説得力のある形で表現したカオリさんの技術が高く評価されました。38歳でメイクの世界に入り、25年以上かけてたどり着いた頂点でした。

88歳のときに自宅が火事に

エミー賞受賞から約20年後、カオリさんは突然の試練に直面します。しかしその対応が、カオリさんという人物をより鮮明に映し出すことになりました。

漏電が原因、一人で在宅中だった

88歳のとき、カオリさんのロサンゼルスの自宅が火災に遭いました。原因は漏電です。いつも居候が何人かいるという家ですが、その日はたまたま全員が外出しており、カオリさんひとりでした。

お酒を飲んでいたところ、キッチンから煙が出ているのに気づきましたが、見に行っても異常はなく。その後、近所の方がドアを激しく叩いて知らせてくれたとき、外に出て初めて屋根が燃えていることがわかったといいます。一歩間違えれば逃げ遅れていた、というような状況でした。

夫の形見・ドレス・着物が燃えた

火事でベッドルームが焼け、夫・ビルさんの形見をはじめ、長年大切にしていたドレスや着物もすべて失いました。1992年に夫を亡くして以来、30年以上手元に置いてきた形見が消えてしまったのです。

それでも消防隊員が「大切なものはあるか?」と声をかけてくれ、パスポートや預金通帳・重要書類を保管していた部屋を伝えると、屋根から突入してすべて取り出してくれました。カオリさんは「心から感動した」と振り返っています。

「I’m lucky girl!」と語ったわけ

火事の現場にテレビクルーが駆けつけ、リポーターがインタビューをしたとき、カオリさんは「I’m lucky girl!(私はラッキーだわ!)」と笑顔で答えました。テレビ局側も驚き、大きく報道されたといいます。

正直「ラッキーって言える?」と思う人もいるかもしれません。でもカオリさんの言葉には続きがあります。「物事には必ず黒と白、どちらの面もあるからこそ、いいほうに考えて笑っているほうが幸せじゃない?私は何でも笑い話にしちゃうんです」と。

カオリさんは戦時中に学童疎開を経験しており、両親と離れた子ども時代を過ごしています。「苦労の中に小さな幸せを見つける」感覚は、その頃から自然と身についたものだと語っています。

また実際的な面でも「ラッキー」でした。メイクアップユニオンが保険会社に強く働きかけてくれた結果、自宅の補修が完了するまでの約1年間、タダでホテル暮らしができました。家も綺麗に修繕されたのち、予想以上のいい値段で売却できたとのこと。

「ラッキーだ」と口にすることは、現実から目を背けているわけではありません。カオリさんにとってそれは、どんな状況でも「生きている」という事実に価値を置く姿勢そのものです。

現在の活動と受賞歴

火事からも立ち直り、92歳になった現在もカオリさんの歩みは止まりません。長年のキャリアが国際的にも評価されています。

92歳でも現役、2006年に旭日双光章を叙勲

2006年(正しくは2008年)、カオリさんは日本政府から旭日双光章を受章しています。長年にわたるハリウッドでの活躍と、日米の文化交流への貢献が評価されたものです。エミー賞に次ぐ形で、日本国内でもその功績が正式に認められた出来事でした。

現在は滋慶学園グループで講師を務め、プロ専用コスメブランド「スター・オブ・ザ・カラー」のプロデュースや、自身のイニシャルを冠したファッションウィッグブランド「KNT(カオリ・ナラ・ターナー)」の監修にも関わっています。QVCでも取り扱われるほどの人気を誇るKNTブランドには、現役のメイクアップアーティストとしての目線が詰まっています。

「徹子の部屋」出演(2026年5月8日放送)

2026年5月8日、カオリさんはテレビ朝日「徹子の部屋」に出演しました。92歳にして自らの波乱万丈な半生を語り、スタジオを驚かせました。

この放送をきっかけに「カオリ・ナラ・ターナーって誰?」と調べ始めた人も多かったようです。香港での一目惚れ、戦艦での結婚式、スティーブ・マックイーンが立会人、88歳での火事と「ラッキーガール」発言。どれを切り取っても、一般的な人生の物差しでは測れないエピソードばかりです。

カオリ・ナラ・ターナーの人生年表

カオリさんがどんな人物かを整理するうえで、人生の流れを時系列で見るとわかりやすくなります。

出来事
1933年東京都大田区蒲田で生まれる
6〜7歳日本舞踊・タップダンスを始める
12歳プロのダンサーとしてデビュー
20歳頃日劇・TV・映画に出演。日本のトップダンサーとして活躍
1965年香港でビル・ターナーさんと出会い、結婚
1971年膝の靭帯を断裂。ダンサーを引退し、メイクの世界へ転身
1978年日本人初のハリウッド・メイクアップユニオン正会員に
1983年「フラッシュダンス」のボディメイクを担当
1992年夫・ビル・ターナーさんが逝去
2003年「エイリアス」で日本人初のエミー賞受賞
2008年旭日双光章を受章
88歳頃ロサンゼルスの自宅が漏電で全焼
2026年「徹子の部屋」に出演。現在も現役で活動中

12歳でプロデビューしてから現在まで、ほぼ80年にわたって「表現の仕事」を続けてきた計算になります。ステージが変わり、国が変わり、仕事の種類が変わっても、止まらなかった人です。

まとめ:夫との出会いが変えた、92歳の現役人生

カオリ・ナラ・ターナーさんは、東京生まれのダンサーから、ハリウッドで日本人初のエミー賞を受賞したメイクアップアーティストへと転身した92歳の現役プロです。その人生の転換点の多くは、夫・ビル・ターナーさんとの出会いによってもたらされました。

香港での一目惚れ、2週間でのプロポーズ、戦艦の甲板での結婚式、そして「一緒にメイクの仕事をしよう」の一言。夫を1992年に亡くしてからも、その志を引き継ぐように歩み続けてきたカオリさんの姿は、ただの「すごい人」という言葉では追いつかないものがあります。88歳の火事を「ラッキー」と笑い飛ばせるのも、長い人生のなかで積み重ねてきた経験と、夫から受け継いだ前向きさがあってこそかもしれません。

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